文学とは何か? 世界が単純じゃない。

文学フリマがおわり、ポップカルチャーとの融合を果たした文学フリマ

おのおのが次の文学フリマに課題を残して過ぎ去っていったと考えられるつぶやきを残して
時期尚早と次回への課題を見つめ直している。

TLでは「いい小説とは何か」や「心に残る小説とはなにか」など改めて今回のイベントについての議論も盛んに行われている。

そんな中、ぽつりと小説を書けずに大阪文学フリマを後にした私がいる。

今は実家。

小説とかなんとかとは切り離された世界にいる。
楽しみと言ったら散歩か近くにできた大型ショッピングモールに足を運ぶことぐらいしかない。
ショッピングモールには書店も内蔵されているがいかにも本屋という感じで、形は本屋になっているものの私の心を射抜くような本まではおいていない。

もしかしたら、おいていないというよりかは私が、本との出会いにまだ気づいていないだけかもしれない。
書店で新しく本と出会うのは奇跡的な出会いだと思うし、それはもしかしたら図書館で出会おうと大差がないのかもしれない。
しかし、出会わなければいけないのだ。出会おうとしない限り私たちは本と接することはないからだ。

本は複雑だ。

複雑故に本というのかもしれない。もしかしたら勝手に複雑に感じて本ととらえているのかもしれない。

本は複雑だ。

本自体も複雑だが文学自体も言い表せないものをあえて文字にしているかのごとく複雑だ。
言ってしまえばお米の白さや美味しさを伝えるためだけに言葉を選ぶような作業をしている。

「米がうまい」と言った簡単な情報だけでいいのにも関わらず。米のうまさを引き立てるために複雑な世界観を持ち込んでくる。

僕たちはいつも炊飯器などは見ていないし、いつも湯気のたつご飯に感動を覚えていない。

しかし、そのことだけでも描写されると特別に見えてしまうのだから文学とは恐ろしい。
理系の人から言ってみたら「情報は単純化させることが目的」となっているのに対して逆行しているといってもいい。

次から次へと情報を複雑か、あるいは難解化しているとも言っていい。

文学が必要としているのは記憶、あるいは情景を想起させることと言っても過言でもない。
そのための切り口を私たちは探し続けているのかもしれない