頭がいいけど、ポジティブな君。ネガティブな君「オリジナルのないコピーネガティブ」

私の周りには天才が多い。

私が頭が悪すぎるのか、様々な天才がフォローしてくれます。
『人柄の良さ』をあげてくれるのは、とてもうれしく、丁寧に教えてもらわないと本当にわからないので、『人柄の良さ』だけで世界のわからないことがわかっていくというのはすごくうれしい。

文学フリマについて最近よく考えていますが、「文学フリマについて私は考えています。」とぽろりとつぶやいただけで最近は少しづつですが、あったこともないような頭の良さそうな人にふれあえるようになりました。
(かなり運がいい)

残念なことは、2つ。

耳に入れた話を口に出すだけで頭がいいと思われてしまうこと。
人柄のよさが甘えに見えて卑怯にみられてしまうこと。

後者は仕方ないのですが、前者は非常に困るので、興味を持った人にはあったときに話をしたことを話したり、きっと実際にあってみた方が本物の素材の味がわかるのではないかと思って紹介をするようにしています。


さて、ここでタイトルの『頭がいいけど、ポジティブな君。ネガティブな君』

一言でいえばポジティブでも、ネガティブでも結果は出せます。
しかし、技のポジティブ、力のネガティブなのかなぁとおもいます。

どっちも天才にはかわりありませんが、基本を守るタイプと、型破りのタイプです。
正直型破りは「型を修めてからあたらしことをやり始める」ので基本はポジティブなんですよね。
例えば大学コンプレックスで勉強しちゃうなんていい例です。。


けどね、あれだよね、みんながみんな型を修めずに「型破り」になりたいようにネガティブはあってるからあの人をまねしようとしてネガティブしかまねしない、よくわからないネガティブって存在するんですよね。

自己暗示って怖いもので一度でもポジティブ期の成功がない限りネガティブが論理破綻していて意味がないのですよ。

オリジナルのないコピーネガティブが今日も量産されていく