シナリオ作家と出会った話。シナリオの書き方の基本の『き』

シナリオ作家と大々的にタイトルに書いてしまいましたが、中身はアマチュア
今まさにコンクールの予選を突破しようと急がし時期なのですが、久々に群馬にかえってきたらあうことがきたので、そのときのお話です。

はじめは私は、小説、演劇のプロットの書き方の違いはだいたい把握していたのですが、シナリオというジャンルは初めてだったのでとても新鮮でした。

そもそも、シナリオって聞いても僕もよくわからなかったのですが、だいたい1時間のドラマを作るのがシナリオ作家の仕事です。

しかし、どうも『ドラマ化』されてしまうと、作者の手を離れてしまうので、コンクールこそがシナリオ作家の最高峰というこという位置づけらしいのです。

ドラマと聞くと、シナリオは大事だ!と思うのですがシナリオからドラマとなるとだいぶすごい!と感じますよね。
彼がいうには、シナリオは生きていて、そのときそのときを切り取り、時代の抱えている問題を映し出すことがテーマであり。ドラマは、現代にある違った視点が求められるものだそうです。(家政婦のミタのよう家政婦の問題や外の人とのつきあい方など)

シナリオのざっくりとしたプロットは、以下の通り。
10分以内に事件、45分から解決、余韻は残さない(現実にかえさせない)というもの。


序破急が勝負。
この黄金比がいかにかけるかが重要。


そして何よりも『嘘』が醍醐味で、本当のことを書きたいと思ったときにどれだけ嘘を書き、人間性を出していくかがキーとなるようです。

小説のミスリードならぬ、ミスマインドというように
「俺は昨日あっていない」←実はあっている
というのがどれだけちりばめられているか。

現代社会をどれだけ切り取れているかが勝負のようです。

何となく、演劇側か?と思いましたが、演劇はすべてを見せないと成立しないし、後から「あれはそういう意味だったのね」と、遊びがないと楽しめないので、やはり違います。

反面、小説とくらべ、表現するものが制限させられ、シナリオを読む人にどのようなイメージを与えるかが勝負となってくるそうです。

好きなものを書くというよりかは現代を切り抜くための切り取りこそがシナリオであり、限られた2、3人を中心のに展開をさせなければいけないというのはやはり小説とは何か違う空気が漂ってきますね、